データライブラリー
深い津波の爪痕 2004年スマトラ島沖地震の様子
津波の速度
速度一覧表
国際語「Tsunami」

1946年、アリューシャン地震でハワイに津波の大被害があった時に、日本からの移民がTsunamiと言ったことから、ハワイでTsunamiという言葉が使われ始めました。また、この被害を受けて設置された津波警戒センターの名前がPacific Tsunami Warning Centerと名づけられたことからアメリカ全体でTsunamiが使われることになり、その後、国際語化したのです。

過去の津波による被害
■明治三陸地震津波
  • 明治29年6月15日 死者およそ2万2000人 地震の強さM8.5
  • 波の高さ 三陸綾里湾奥/38.2m
  • 陸地では大きな揺れを感じられなかったが、三陸沖約150Kmを震源とする大きな地震で、地震発生から約30分後に訪れた津波によって甚大な被害が生じた。
■昭和三陸地震津波
  • 昭和8年3月3日 死者およそ3000人 地震の強さM8.1
  • 波の高さ 三陸綾里湾奥/23.0m
  • 北海道から近畿地方までの広い範囲で強い揺れを感じ、宮古・仙台などでは震度5を記録。地震発生から30分〜1時間後に、津波が沿岸に訪れる。
■チリ地震津波
  • 昭和35年5月23日 地震の強さMw(モーメントマグネチュード)9.5
  • 南米チリ沖で発生した観測史上最大の地震と言われる地震によって発生した津波は、20時間以上かけて太平洋を渡り、日本に押し寄せました。太平洋沿岸の多くの地域で、被害が出ました。
■北海道南西沖地震津波
  • 平成5年7月12日 死者およそ230人 地震の強さM7.8
  • 奥尻島に到達した津波の高さは30mとも言われいます。
  • 震源が沿岸に近かったため、震度5を記録した大きな揺れのわずか4・5分後という速さで津波が押し寄せ多くの犠牲を出した。特に奥尻島の青苗地区では、津波と地震による火災被害により壊滅的な打撃を受けた。
海のなかまたち
ミズクラゲ ミズクラゲ写真

ミズクラゲは 日本の海岸でよく見かけるクラゲです。
丸いドーム型の傘を持ち、私たちの持つクラゲのイメージどおりの外見を持っています。
傘の中央に輪のような生殖腺が4つ見られる事が、このクラゲの特徴。
ミズクラゲは、この特徴的な4つの生殖腺を目玉に見立て、「ヨツメクラゲ」という別名も持っています。

傘の下にある触手に刺胞(毒針)がありますが、毒は強くありません。
傘の直径は十数cm程度ですが、30cmを超えるものもいます。

クラゲはどうやって増える

生物の増え方は、オス・メスの2つの個体から増える有性生殖と、1つの個体が分裂して増える無性生殖の2種類があります。

私たち人間は、有性生殖だけによって子孫を残しますが、ミズクラゲは、この有性生殖と無性生殖の両方によって増えるという珍しい性質を持っています。

海の風景
名古屋港跳上橋 跳上橋写真

名古屋港イタリア村の北に、片側が跳ね上げられたままの橋があります。これは昭和2年に旧東臨港線に作られた可動橋で、船が堀川へ出入りする際に跳ね上げて水路をあけていたのです。


名古屋港に出る堀川は徳川家康の時代、1610年に、名古屋城の城下に米や味噌、木材などを運ぶために作られ、特に、河口付近には材木を扱う船蔵が多く賑わっていました。
現在の名古屋港が開港したのは明治40年。その2年後に笹島と名古屋港2号地を結ぶ臨港鉄道が開通。名古屋港は栄えていきます。当時の名古屋は紡績業が特に盛んで、輸入した綿花を運ぶのに使おうと、東臨港線を延長する際、この跳上橋は作られました。
現在名古屋に残っている可動橋はこれひとつだけですが、実は名古屋には全部で3つの可動橋があったのです。


一つは現在の港区、竜宮インターチェンジの南にある開橋。ここに可動橋である大江川橋が掛けられていたのです。しかし、この橋は昭和7年に堀川口の港新橋仮橋に移され、昭和39年まで使われ、昭和34年の伊勢湾台風にもびくともしなかったと言われています。その名残である可動桁の基礎は現在も残っています。


綿花を運ぶ鉄道を上に、材木を運ぶ船を下に、名古屋港の成長を見てきた跳上橋もトラック輸送の発達などにより昭和61年にその役目を終えました。
しかし、平成11年には国の文化財にも指定され、跳ね上げられた状態のままで現在も保存されているのです。


これからも名古屋港の発展を見守っていくことでしょう。

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